第35回公開市民大学:安部建一

第35回公開市民大学:安部建一

鳥になりたい男たち
-人力飛行機にかける青春-
航空宇宙工学科専任講師 安部建一

鳥人間コンテストは、読売TVが主催している自作人力飛行機/滑空機の選手権大会です。1977年7月ロンドンでテームズ河に翼をつけた人が飛び込んで行った夏の祭りをよみうりテレビが模して「鳥人間コンテスト選手権大会」と銘うって産声を上げました。毎年、7月後半に琵琶湖(滋賀県彦根市松原水泳場)で開催されています。人力飛行機と滑空機部門に分かれ、高さ10mのプラットホームから飛び立ち、直線飛行距離を競い合います。1977年に第1回大会が開かれ、1986年の第10回の大会から滑空機、人力プロペラ機と部門を別にして競技することになりました。昨年はライト兄弟が初飛行してから100周年の年であり、大会は27回(H15年9月6日よみうりTV放映)を迎えました。日大に9年ぶりの優勝と大会新記録となる34.6kmの飛行を行ったチームの1年を紹介します。「大空を自分の力で飛ぶ」という人間の夢をかなえるため、人力飛行機の研究は、古代から世界各国で行われてきました。イギリスのサザンプトン大学で1961年に「SUMPAC」号が飛行に成功して以来、日本では本学・理工学部が先駆者となり、故木村秀政先生のもと卒業研究の一環として研究開発に励み、1966年、自力で飛んだ世界で4番目の人力飛行機を完成させました(H15年9月16日プロジェクトXで放映)。

木村先生は、1938年東大航空研究所時代に航研機で航続距離の世界記録を、1943年にはA26で航続距離の未公認世界記録を樹立しました。1947年に日大に奉職され、 1962年に国産初の旅客機として初飛行したYS-11の委員長をつとめられました。1966年2月26日、先生のご指導(当時、機械工学科航空専修コースの卒業研究)で人力飛行機の初飛行、1977年には飛行距離2093mの未公認ながら世界記録を樹立しました。そして、1985年以降、先生の意志は航空研究会に受け継がれ、人力飛行機とともに今も生き続けています。1963年のリネットI世から1984年のスイフトCまでの22年間の卒業研究、1984年からは航空研究会が人力飛行機の開発を行って19年とそこには41年の歴史があります。

その間、1959年に制定されたクレーマー賞(八の字飛行)を目指し開発が行われましたが、1977年にアメリカのゴッサマー・コンドルが達成、さらに1979年6月12日には英仏海峡35.82kmを横断しました。また、1988年4月23日、ギリシャ神話のダイダロス計画に基づき、アメリカのMITとNASAのプロジェクトによりギリシャで113kmの飛行がなされています。 琵琶湖における航空研究会のプロペラ機部門での記録は、優勝5回、2位3回、 3位3回。9回大会まで出場していた滑空機部門での優勝2回、2位1回などの実績から「人力の日大」として注目されていますが、残念なから1994年を最後に優勝から遠ざかっています。

3年前の人力飛行機mowe18世は、13に縁がありました。初飛行が2001年(平成13年)5月13日、奇しくも木村先生が1938年(昭和13年)5月13日から5月15日に、当時世界新記録を打ち立てた航研機(東大航空研究所)が周回航続距離11651kmを出した日でもあるのです。

2001年7月1日、飛行順が抽選で引き当てた番号がこれも13番。「これはきっと13km飛ぶのではないか」と期待が高まるなか、mowe18世は7月28日午前8時45分テイク・オフ。飛行中、操縦桿の不調に見舞われましたが、パイロットの機敏な判断により体重移動だけで機体を旋回させ操縦しました。着水した距離は2187.94m、 3位でした。しかし、飛行時間は26分42秒です。機体の速度から換算すると飛行距離は12km、ロスを考慮すると約11kmの飛行(学生記録は9761.56m、大会記録は23688.24mで日大OBのヤマハチーム)に相当します。

第27回大会が行われた昨年は、ライト兄弟初飛行100周年記念という年でもありました。人力プロペラ機部門では、図面審査を通過した18機が出場しました。また、大会役員による競技前日に行われる機体審査を通過しないとフライトすることが出来ません。審査をパスすると合格シールが与えられます。フライト順は7月初旬のくじびきで事前に決まります。常連の東北大学が6番目、日本大学理工学部航空研究会は9番目、大阪府立大学は15番目および東京工業大学は18番目の発航でした。競技は午前6時から始まります。今大会では、東北大学が5年ぶりの大会新記録を塗り替えました。日大のパイロット・平綿甲斐君(航宇3年生)は「他の大学がこのぐらい記録を出せるのだから自分たちも記録を出せる」との意気込みで、8時38分22秒に、近年になくプラットホーム上で離陸、高度損失なしの終始安定した飛行をし、南に進路をとり高い高度を維持しました。琵琶湖大橋が近づいた時、主将が審判長に橋の下を潜らせて頂けるようお願いし、審判団からは警察署等関係各所に連絡して頂きましたが、許可が得られなかったため、審判長の着水命令に従い、着水しました。飛行距離は東北大学を大幅に上回る34654.10mという大会新記録でした。

着水の瞬間、仲間たちが1年間ずっと抱きつづけていた熱い気持ちが、静かに琵琶湖に消えていったこと、おそらくその場にいた人々すべての人の胸を打ったことでしよう。

男たちは、再びチャレンジャーとしてスタートしました。鳥になり、より長く、より遠く、そしてより美しく、大空にかける青春がある限り......。

プロフィール

〈略歴〉
1972年3月 日本大学理工学部機械工学科卒業
1972年4月 日本大学理工学部勤務
1975年3月 まで3年間、東京大学航空研究所にて風洞実験に従事
1975年4月 より日本大学理工学研究所風洞実験室勤務、 現在、業務責任者
1996年4月 より航空研究会顧問を拝命、現在にいたる
〈主要実験〉
1974年 鉄道技術研究所(現在のJR総研)の浮上式鉄道の風洞実験
1976年 人力飛行機翼型空力持性
1977年 南極用風力発電装置NU-102の性能試験、川崎市民プラザ模型風洞実験
1979年 南極昭和基地に建つ航空機格納庫の形態決定に関する風洞実験日本大学総合センター建物の環境風に関する実験
1980年 飛行艇体の抵抗測定風洞試験
1981年 南極昭和基地における高床式建物周辺の乱流特性自動車模型の系統的空力特性実験(1983年まで)
1983年 風洞における高速艇の空力特性の研究
1985年 風洞における架空送電線の空力特性の実験
1988年 極地風力発電システムのロータ空力特性に関する風洞試験
1989年 パラホイルの空力特性(サントリー夢大賞)
1992年 電線の空力特性に関する風洞試験(現在も継続中)
1996年 サッカースタジアムにおける片持式屋根構造の風洞実験地中飛行機に関する風洞実験(1998年まで)
1997年 空力特性の優れた高速列車先頭形状
1998年 防風、防雪柵に関する風洞実験(現在も継続中)
1999年 テクノプレース15建設に伴う可視化実験
2000年 人力ヘリコプタの風洞実験
2001年 南極昭和基地主要部建物周辺の風速分布の測定
〈学会活動〉
日本航空宇宙学会
日本流体力学

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