第35回公開市民大学:重枝豊

第35回公開市民大学:重枝豊

世界遺産ミーソン遺跡群の現状と将来
日本大学専任講師(理工学部) 重枝豊

ベトナムの中部には、チャンパー遺跡、フエの王宮群やホイアンの港町などの文化遺産が数多く残されている。私は1989年以来、それらの研究と修復に取り組んできた。

東南アジアで仕事をするときに念頭に置いていることは、「自分にしかできない仕事」、「現地の人に評価される仕事」である。長年にわたって東南アジアで研究されている諸先輩と同水準の業績をあげるのは不可能で、また、二番煎じになってはならない。そのためには人が取り組まなかった分野や、あきらめていた分野において新しい研究方法を模索し、提案し続けてきた。

チャンパーをめぐる歴史的環境について触れておきたい。東南アジアにもっとも古く出現した国家のひとつに、1世紀頃に建国された「フナン(扶南)」がある。現在のベトナム南部、サイゴンの西南約160kmにオケオと呼ばれる遺跡が残っており、フナンはこの港湾都市を中心として栄えた貿易国家であったことがわかっている。この国はインドの文化的影響を強く受け、4世紀を最盛期としてその勢力範囲はメコンデルタを中心に、ベトナム南部、カンボジア、タイ領の大部分、さらにマライ半島の大半にもおよぶ大帝国を形成した。

メコン・デルタを中心にフナンが繁栄しているころ、インドシナ半島の内陸部でもインド文明の刺激を受けた真臘(しんろう)が建国され、7世紀にはフナンの勢力を制圧する。この時代の文化を建築史の分野では、7世紀から9世紀中頃までをプレ・アンコール期、9世紀中頃以降をアンコール期と呼んでいる。アンコール期には世界遺産となっているアンコール・ワットを中心にクメールの建築と美術が開花したことが知られている。

一方、ベトナム北部では、ソンハ・デルタ(紅河)を中心に紀元前1世紀に"越族の国家"が建国される。この国は10世紀まで中国に隷属し、中国文化の強い影響を受けた。

チャンパーは、この越族の国と真臘(クメール/アンコール)の間に挟まれた地域に、インドネシア系民族のチャム族によって建国された。チャンパーという名称は、7世紀に初めて碑銘に現れる。当時の中国史料によれば、192年から758年までを「林邑」、860年までを「環王」、滅亡までを「占城」と呼んでいる。政治的な中心はベトナム中部のクアンナム地方、南方のファンラン及びニャチャン、そして再びクアンナムと移る。また、末期には北方の越族の圧迫を受け、クィニョン(ヴィジャヤ)地区に後退して、15世紀には地方勢力となってしまった。

林邑期に王都としてチャキェウが、貿易港ホイアンを経済的基盤として盛えたのに対して、ミーソンは宗教上の聖地とされ、神格化された王のリンガを祠った祠堂などが盛んに建立された。クアンナムから8世紀中頃に経済の中心が移動した後も、ミーソンは聖地とされて継続的に多くの宗教施設が建立された。

カンボジア、ベトナム、ラオスは、インドシナと呼ばれるように、インド文明と中国(シナ)文明の狭間に位置している。チャンパーはその中国との接点に建国された国家といえる。

チャンパーは東南アジアにおける、海上貿易の担い手として、幅広く異文化を受け入れ、芸術を愛し、多くの優れた造形美術の傑作を残した。しかし、国家として滅んだために長い間人々に忘れ去られてきた。チャンパーは一千年を越える期間にクメール文化、中部ジャワの文化、中国文化の影響を受けながらも、独自の文化を育んできた。

そんなチャンパーの中心地であるミーソン遺跡群を10年以内に世界遺産に登録する決意をベトナム人に宣言してから、10年が過ぎた1999年12月、ミーソン遺跡は世界遺産に登録された。次の目標はミーソン遺跡に研究センターを開設することであるが、外務省のODA(official development aid)支援を受け、2005年3月に開館の予定となった。

世界遺産に対してはじめて日本のODAを投入するために、失敗は許されない。今回の仕事は、欧米の観光客や研究者に日本の文化支援もなかなかやるなと唸らせることにある。彼らはそう簡単に褒めてはくれない。とくにフランス人たちはこの遺跡を再発見し、整備したのは我々だと思っているからである。

そのためのシュミレーションの最中である。私は10年後の目標を設定して行動している。その実現のために5年先、3年先、そして今週中にやらなければならない仕事が決まっていく。だからさぼれないのである。自ら仕掛けを造り、調整し、仕事を完成させてきた。途中で失敗しても苦にはならなかった。自己のシュミレーションの欠陥を知ることにより、その教訓を生かしてプロジェクトを修正し実行できたからである。これからも最後の締めくくりの10年にどんな果実を実らせるか、期待と不安に胸をふくらませる日々を送っている。

プロフィール

〈略歴〉
昭和52年3月 日本大学理工学部建築学科卒業
昭和53年4月 同 理工学研究科大学院博士課程前期入学
昭和56年4月 同 理工学研究科大学院博士課程後期入学
昭和59年3月 同 理工学研究科大学院博士課程後期単位取得退学
平成11年7月 博士号取得(工学)
〈主要実験〉
昭和55年4月 日本大学理工学部海洋建築学科副手(昭和56年3月まで)
昭和55年4月 昭和第一高等学校建築学科非常勤講師(平成元年3月まで)
昭和56年4月 東京デザイナー学院非常勤講師(平成元年3月まで)
昭和59年4月 日本デザイナー学院非常勤講師(平成2年3月まで)
平成元年4月 東京建築専門学校非常勤講師(平成3年3月まで)
平成3年4月 東京デザイン専門学校(平成7年まで)
平成8年4月 日本大学理工学部建築学科助手(平成12年まで)
平成9年4月 名古屋工業大学工学部(講師)(平成10年3月まで)
平成13年4月 日本大学理工学部建築学科専任講師(現在に至る)
平成13年4月 大阪大学大学院文学研究科講師(平成13年度)
平成14年4月 学習院女子大学国際文化交流学部講師(現在に至る)
〈主要著作〉
『ベトナム町並み観光ガイド』共著 2003年6月 岩波書店
『岩波講座東南アジア史別巻』共著 2003年1月 岩波書店
『世界美術全集東洋編14 東南アジア』共著 2001年1月 小学館
『チャンパ歴史・末裔・建築』共著1999年11月 めこん
『空間体験世界の建築・都市デザイン』共著1998年12月 井上書院
『文化遺産第5号』共著1998年4月(財)共著 島根県並河萬里写真財団
『おもしろアジア考古学』共著1997年12月 連合出版
『チャンパ遺跡』共著1997年9月 連合出版
『躍動のアジアヴェトナム』共著1997年7月 アジア文化交流協会
『ベトナムの事典』共著1996年9月 同朋舎/角川書店
『もっと知りたいカンボジア』共著1996年7月 弘文堂
『講座文明と環境12文化遺産の保存と環境』共著1995年12月 朝倉書店
『アジア読本ヴェトナム』共著1995年11月 河出書房新社
『チャンパ王国の遺跡と文化』共著1994年9月 トヨタ財団
『アンコールワットの魅力 クメール建築の味わい方』単著1994年7月 彰国社
『住まいブックス 見知らぬ町の見知らぬ住まい』共著1991年7月 彰国社
〈学会活動〉
日本建築学会(東洋建築史小委員会・委員)
東南アジア史学会(学会賞選考委員会・委員)

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