日本大学理工学部は、この地「駿河台」で100年を迎えようとしています。すでに1 号館は新しい建築に変わり、数年前の東日本大震災の時には、耐震改修された再生5 号館とともに駿河台での防災拠点となりました。ただ、他の校舎建築群は老朽化や耐震問題に加え、時代にあった学生たちのアカデミックな場所や教育研究拠点としての環境整備など、新時代の都市型理系の大学施設として十分でない状況にありました。理工学部「キャンパス整備委員会」としても老朽化した2 ~ 9 号館の早急な環境整備が必要との判断で、更新ローリング計画が策定され、まずは「駿河台キャンパス南校舎基本計画検討委員会」が立ち上げられました。平成23年から実施に向けて計画案とロードマップが策定され、その後設置された「駿河台キャンパス南棟(仮称)建設実行専門委員会」の主導により、ここに第1 フェイズの新校舎「タワー・スコラ」(南棟)が完成を迎えました。
理工学部は駿河台キャンパスを都市型教育の中心となる「教育・研究キャンパス」、船橋キャンパスは大型研究実験などを中心とした「研究・教育キャンパス」とそれぞれの位置付けがなされ、この基本コンセプトにのっとり「南棟」「北棟」「西棟」の校舎更新をフェイズに分けて整備する計画としました。
この南棟建築計画では「総合設計制度」を利用し、旧9 ・6 号館敷地に建物を建て、本郷通りに面した5 号館敷地跡に公開空地の地域開放された広場を設け、免震・制震構造の最先端技術を駆使した南棟建設を行うことにしました。教育研究のため、「教室・研究室・実験室」と、「学生たちの居場所」を目指したプログラムを持つ立体カルチェラタン建築が計画されたのです。
平成24年に策定された「南棟基本計画」は、次なる100年に向けて以下の6 つの基本方針で成立しています。
建築の内部構成は、地下階に各学科の授業に必要な「実験室」群、1階には5 号館ピロティの壁画レリーフを再現した「カフェ」と、通りからも見える開かれた学問の場として「270人大教室」が情報発信の空間を作っています。また、低層階には「講義・教室」群を配し、2 階には将来の「北棟」とブリッジで繋がれるように開口が準備され、中高層階には各学科の「研究室・院生室・演習室」などがゾーン配置され、屋上には「音響実験室」「屋上環境緑化」が設けられ、余すところなく「教育と学問」のための施設となっています。
この建物の特徴である地下の「免震装置」エリアには「見学コース」も準備され、建築外観のガラスカーテンウオールの中に見える「制振トグルダンパー」は1 号館や再生5 号館にも設置されたもので、東日本大震災時にもその働きが実証された日大独自の地震エネルギーを吸収する装置として学外にアピールしています。
中高層の何層かにわたる学科には、中間層「吹き抜け」が設けられ、学科ごとの一体感をなくさないよう学生の居場所空間として計画され、外観中間層の「空中庭園」と繋がり、ニコライ堂側の眺望を楽しむ学生や研究者の憩いの場となるように計画されました。サイン計画には、東京2020オリンピック・パラリンピックのグラフィック担当の野老朝雄氏を起用し、新しい時代の日本大学理工学部をアピールしています。
「ニコライ堂」下の3 ・4 ・7 号館敷地には、将来「図書館」「レストラン」「ミュージアム」「広場」などのプログラムを持つ「北棟」の計画が検討され、この新校舎「タワー・スコラ」とブリッジで繋がれる構想ですが、駿河台キャンパスともに歩んできたニコライ堂との共生空間も計画されようとしています。この地域社会に開かれた計画は、関東大震災復興計画の指揮をとられた初代理工学部長・佐野利器博士による本郷通りブールバール計画の最終形でもあり、千代田区の駿河台文教地区計画ともリンクするものです。
日本大学理工学部駿河台キャンパス南棟(仮称)建設実行専門委員会
副委員長 今村 雅樹(建築学科教授・建築家)
建物名称 | 日本大学理工学部駿河台校舎タワー・スコラ |
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主要用途 | 教室,研究室,実験室,会議室,事務室 |
敷地面積 | 3,432.93m2 |
建物面積 | 1,410.10m2 |
延床面積 | 27,252.39m2 |
階数 | 地下3階,地上18階,塔屋1階 |
構造 | 鉄骨造,一部鉄骨鉄筋コンクリート造 |
設計監理 | 日本大学本部管財部 株式会社梓設計 |
施工 |
[建築] 清水建設株式会社 [電気] 株式会社関電工 [設備] 東洋熱工業株式会社 |