日本大学理工学部 日本大学大学院理工学研究科
  1. HOME
  2. ニュース
  3. 記事詳細

ニュース

2023年02月27日

お知らせ

【2月27日】1966年の本日、日本大学理工学部の人力飛行機 「リネット号」が、調布飛行場にて日本初の人力飛行に成功しました。

【2月27日】1966年の本日、日本大学理工学部の人力飛行機 「リネット号」が、調布飛行場にて日本初の人力飛行に成功しました。

時は、1966(昭和41)年2月27日。
午前5時前の冷え込んだ調布飛行場には多くのマスコミ関係者が集まっている。
その視線は、木村秀政教授の指揮のもと、10名の学生たちにより設計・製作された
人力飛行機「Linnet」に注がれている。
本当に人間の力だけで飛ぶのか
     ・
     ・
     ・
「Linnet」は静かにそして力強く滑走をはじめた。
きちんと舗装されていない滑走路で機体がうねる。

やがてその機体は、日本で初めて人間の力でふわりと浮き上がった。
飛行距離15m。
それは、日本における人力飛行機の夜明けであった。

1966(昭和41)年2月27日、「Linnet号」が、調布飛行場において、日本における人力飛行機(人間の筋力だけで飛ぶ飛行機)の初飛行という偉業を達成しました。(世界で4番目)

日本大学理工学部機械工学科航空専修コース(当時)で、木村秀政教授(第6代理工学部長)が卒業研究として人力飛行機の開発を始めたのが1963(昭和38)年。十分な資料やデータがない状態で人力の測定と操縦方法の模索から始まり、設計製作まで数々の試行錯誤と苦労を重ね、東京大学の航空宇宙研究所の場所をお借りしてついに1966(昭和41)年1月25日に完成しました。間もなく木村教授によって「Linnet」(鳥の名前:和名ムネアカヒワ)と名付けられたその機体は翌月2月27日「Linnet号」(パイロット:岡宮宗孝)として日本で初めて人力飛行機の飛行に成功することとなりました(飛行距離15m)。その偉業は、各社新聞に「リネット遂に空に羽ばたく」「飛んだぞ 人力飛行機」「フワリと空に3メートル 高度は世界新 日本初の人力飛行機」等と大きくとりあげられ、海外にも報道されました。そして、1977(昭和52)年1月にはStorkB(パイロット:加藤隆士)が2093mを飛行し、未公認ながら当時の世界記録を樹立しています。
初飛行ではわずかに15mの飛行距離であったものが、この50数年の間に未公認ながら世界記録を樹立し、公認日本記録樹立と更新を2回行い(航空研究会開発機体による公認日本記録が49,172m)、読売テレビの「鳥人間コンテスト」では滑空機の2回を含め10回の優勝を成し遂げ、2019年の「鳥人間コンテスト」では、メーヴェ36(機体名)が学生新記録達成(飛行距離38010.28m)するなど、大きな進展を遂げています。
一心不乱に人力飛行機の開発に取り組んだその情熱と魂は、木村教授の定年退職後、理工学部航空研究会にサークル活動として引き継がれ、現在まで64機が開発されています。そして現在、65機目となるMöwe(メーベはドイツ語でカモメ)36の完成に向け学生達は日々努力を重ねています。
「Linnet号」のパイロット岡宮氏は、今でも離陸する瞬間の感動が忘れないといいます。
「はじめは、人間の力で空を飛ぶなんて夢があると思い、その開発に手を挙げたそうです。
そこには思いもよらない難題・困難がたくさん待ち受けていた。その厳しい時間を、頭を使い、体を使い、徹夜の日々を過ごしながらも仲間たちと懸命に努力して乗り越えてきた。その達成感は何にも代えがたかった。人間の力は捨てたもんじゃないと思った。これからは、是非世界で戦ってほしい。世界に日本の技術ありというのを目指して欲しい。」
と語っています。

木村教授は、初飛行成功の時、まわりにいる学生と握手をしたり、肩をたたいたりして喜びを分かち合ったといいます。

「仲間と一緒になって、夢中になって取り組んで、
さんざん苦労したものが報われる。
その感動をいろんな人に味わってもらいたい。」

そう語った教授の情熱は、今なお少しも冷めることなく大空を目指す学生達に受け継がれています。

【2月27日】1966年の本日、日本大学理工学部の人力飛行機 「リネット号」が、調布飛行場にて日本初の人力飛行に成功しました。