日本大学理工学部 日本大学大学院理工学研究科
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2023年03月23日

レポート

【実施報告】プロペラ機による単独世界一周飛行の偉業を達成した隻眼のパイロット前田伸二氏(2002年卒)講演会(3月17日(金)開催)

【実施報告】プロペラ機による単独世界一周飛行の偉業を達成した隻眼のパイロット前田伸二氏(2002年卒)講演会(3月17日(金)開催)

 「世界を飛べ。
  多くの人に会い、
  どのように困難を乗り越えてきたのかを伝えるために。
  そして絶対に事故を起こしてはいけない。
  同じように夢や目標を抱いて前に進もうとする子供達の夢を挫かないために。」
 
 3月17日(金)駿河台キャンパス タワー・スコラS101教室にて、航空宇宙工学科の卒業生でNPO法人 Aero Zypanguプロジェクトの代表 前田伸二さん(2002年卒業)の講演会(主催:航空宇宙工学科)「コロナ禍世界初 私が地球を一人で飛んだ理由」が行われ、世界一周ミッションフライトの機体改装から航路計画、出発までの準備、そしてなぜこのミッションフライトが必要だったか等お話いただきました。

 当日は、理工学部学生の他に、理工学部の航空宇宙工学科が開発してきた人力飛行機や軽飛行機の設計者やパイロットの皆様そして航空業界他にて活躍をされている卒業生の皆様もお越しになり、発起人であられます卒業生で元教員の松金先生の歴代の機体の紹介に続き講演が行われました。

 前田さんは、理工学部に入学してまもなく、大きな事故に巻き込まれ生死をさまよう経験をされました。その結果片目の視力を失うというつらい現実と向き合わなくてはならないこととなりました。将来パイロットを夢見ていた前田さんにとってそれは夢と希望を失った瞬間であったといいます。
 様々な声に自問自答し生きていくことの意味を見失いそうになった苦しい日々。 周りの大人から「障害者」とレッテルを貼られ、幼い頃から憧れていたパイロットになるという夢も日本の法律上、不可能であるという現実を突き付けられました。
 しかし、そこであきらめることはありませんでした。事故当時、父、母、祖父、祖母、おじさんやおばさん、友達、恩師、誰もが生存を祈り、祈り続けていました。そしてその魂はこの世に戻ってきて現在生きることができている。
 前田さんは、挫折を大きな力に変え大学生活を不屈の精神で全力で過ごし、卒業後、単身でアメリカに渡り、パイロットになるという夢を実現させました。
 そして、コロナ禍における2021年6月11日、くしくも事故に巻き込まれた1998年6月11日のちょうど23年後の同日に、パイロットとして単独での世界一周飛行の偉業を達成されました。単独飛行で世界一周をしたパイロットの139人目として名を刻み、コロナウイルスによるパンデミック以来世界初、片目の見えないパイロットとしては世界で2人目の世界一周を成し遂げたパイロットとなりました。
 この功績は、広く人々を勇気づけたことが評価され、2022年9月、米国ボナンザ協会最高位のABSエアマンシップ賞が贈られました。

 講演の最後にコロナ禍で辛い思いをした学生たちに、

 「歩みを止めればゴールは近づいてこない。
  確かにこの3~4年は辛かったと思う。でも過去は変えられない。
  でも今日未来を変えられる。それが人生。
  私たちには乗り越えられないものはない。」

とエールが贈られました。
 
 前田さんは、現在新しいプロジェクトが進行中です。その心の翼は果てしなく力強く広がって見えました。

 ご講演いただき、誠にありがとうございました。

アースラウンダー
前田伸二さん
プロフィール
1979年生まれ。北海道出身。米国シアトル市在住。ボーイング社勤務。飛行訓練所(Snohomish Flying at Harvey Airfield)教官 。
米国非営利団体NPO「エアロ・ジパング・プロジェクト」代表。アースラウンダー。
日本航空高等学校卒業後、日本大学理工学部航空宇宙工学科に入学して2か月後に交通事故で右目の視力を失う。大学卒業後、2002年にICCコンサルタンツ主催のIBPプログラムに参加。2003年よりエンブリ・リドル航空大学大学院で航空安全危機管理を研究。在学中、隻眼のパイロットとして自家用操縦士免許を取得する。
【実施報告】プロペラ機による単独世界一周飛行の偉業を達成した隻眼のパイロット前田伸二氏(2002年卒)講演会(3月17日(金)開催)