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2023年12月01日
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【プレスリリース】量子計測に基づく超高感度光断層撮影法の開発 ~ 微弱光照射による110 dB を超える信号検出感度の実現 ~
概要
量子科学研究所の井上修一郎教授,行方直人准教授,理工学部の小林伸彰准教授,佐甲徳栄教授,量子理工学専攻博士前期課程の野村絢也氏,慶應義塾大学医学部先端医科学研究所の高田則雄専任講師らによる研究グループは,量子パルスゲートと呼ばれる量子技術を光パルスの時間分解測定に応用することで,超高感度光断層撮影法を開発しました。この量子光断層撮影法は,微弱光照射により非接触・非侵襲で生体深部を可視化できる技術であり,新たなモダリティ(医用画像撮影装置)として医学・生物学の研究や医療診断に役立つことが期待できます。
この研究成果をまとめた論文は独・英国シュプリンガーネイチャーが出版する研究オープンアクセスジャーナル「Scientific Reports」に 2023 年 11 月 29 日に掲載されました。
研究背景
非接触・非侵襲で物体の内部構造を可視化する技術は,医学・生物学の研究,医療診断,膜厚測定や欠陥検出などの製品管理,芸術作品の修復など,様々な分野で必要とされています。OCT(Optical CoherenceTomography:光干渉断層計)は,試料に干渉度の低い光を照射し,試料内部からの反射光と参照光との干渉により断層画像を取得します。試料内部で吸収や散乱が少ない波長の光を使用することで,試料表面から深さ 3 ~ 12 mm,深さ方向の分解能 5 ~ 12 μm で試料内部を可視化することができます。この OCT は眼の網膜のほか,生体内の血管や臓器を非接触・非侵襲で可視化できる技術であり,近年,医療診断で広く使用されています。また,材料内部の空洞や破断層などの欠陥検査や膜厚の管理などの産業応用にも使用されています。しかし,深部からの反射光と表面近傍で多重散乱した反射光との区別がつかないため,多重散乱した反射光が背景雑音となり深部画像の劣化を引き起こします。また,光の干渉を利用した技術であるため,スペックル雑音による空間分解能の劣化も避けられません。さらに,信号検出感度は光のショット雑音で制限されており,照射光強度に制限を受ける医療診断では,~ 110 dB の信号検出感度が限界となります。吸収や散乱の大きな樹脂や生体の深部観察では,これらの雑音の低減による信号検出感度の改善が必須です。
研究概要
本研究では,生体試料に光パルスを照射し,試料内部からの反射光により断層構造を可視化します。この点では OCT と同じですが,断層構造の情報を得るのに OCT のように参照光との干渉を用いるのではなく,試料内部からの反射光を時間分解測定します。時間分解測定は光パルスが照射された時刻を基準として,光パルスが戻ってくるまでの時間を測定します。この光パルスが戻ってくるまでの時間測定の精度(試料の深さ方向の分解能)は測定に使用する光パルスの時間幅と光検出器の時間ジッタ(光検出におけ
る時間分解能)で決まります。近年,超短パルスレーザーを使用すると 100 フェムト秒(fs)以下の時間幅をもつ光パルスを時間分解測定に使用できますが,光散乱の少ない短波長赤外領域(1.4 ~ 3 μm)に感度を有する光検出器(例えば,InGaAs/InP 雪崩フォトダイオード)の時間ジッタは 500 ピコ秒程度です。OCT と同等の試料深さ方向の分解能を得るには,100 fs 程度の時間分解能が必要になります。光検出器の時間ジッタで決まる時間分解能を超えて 100 fs 以下の時間分解能を達成するために,本研究では光パルスの検出に和周波発生(Sum Frequency Generation: SFG)を利用します。
図 1. 量子パルスゲートによる多重散乱光パルスの除去
る時間分解能)で決まります。近年,超短パルスレーザーを使用すると 100 フェムト秒(fs)以下の時間幅をもつ光パルスを時間分解測定に使用できますが,光散乱の少ない短波長赤外領域(1.4 ~ 3 μm)に感度を有する光検出器(例えば,InGaAs/InP 雪崩フォトダイオード)の時間ジッタは 500 ピコ秒程度です。OCT と同等の試料深さ方向の分解能を得るには,100 fs 程度の時間分解能が必要になります。光検出器の時間ジッタで決まる時間分解能を超えて 100 fs 以下の時間分解能を達成するために,本研究では光パルスの検出に和周波発生(Sum Frequency Generation: SFG)を利用します。
SFG は 2 次の非線形光学過程により反射光パルスの周波数をより高い周波数に変換します。反射光パルスとポンプ光パルスを同時に非線形光学結晶に入射し,2 つの光パルスが結合した第 3 のより周波数の高い光パルスを発生させます。試料表面で反射され最初に戻ってくる光パルスに対してポンプ光パルスに時間遅延を与えることで,試料内部の異なる深さから戻ってくる光パルスを SFG により周波数上方変換して検出します(図 1)。これにより、時間分解測定の分解能は光検出器の時間ジッタではなく反射光パルスの時間幅で決まります。ポンプ光パルスの時間遅延から検出された光パルスが試料内部のどこで反射したかの情報を得ることができ,その情報と検出された光強度(光子数)から試料の断層画像を取得できます。
この光パルスの時間分解測定により OCT を凌ぐ撮影深度と高画質を実現するためには,生体内部で 1回反射して戻ってくる光パルス(信号)と同時刻に到来する生体内部で多重散乱して戻ってくる光パルス(背景雑音)を除去しなければなりません。そこで,量子通信への応用を目指して開発された「量子パルスゲート(Quantum Pulse Gate: QPG)」を利用します。通常の SFG は,周波数変換に要求されるエネルギー保存と運動量保存を満たす複数の周波数−時間モードを変換する「多モード変換過程」ですが,QPG の条件を満たす SFG は特定の周波数−時間モードをもつ光パルスのみが変換される「単一モード変換過程」となります。この QPG により生体内部で 1 回反射して戻って来る信号光パルスを,多重散乱により波面・位相・偏光・パルス幅が変化して戻ってくる雑音光パルスから分離します。また,QPG 出力の検出に単一光子検出器を使用することで,生体深部から戻ってくる単一光子レベルの光パルスを検出します。これにより,OCT を遥かに凌ぐ信号検出感度を達成することができ,微弱光照射においても高い S/N 比で断層画像を取得できます。さらに,信号検出に干渉を用いないため,スペックル雑音を大幅に抑制することができます。
研究成果
本研究で時間分解測定に使用したプローブ光は,第 3 の生体窓(1550 - 1800 nm)に属する波長 1564nm,パルス幅 380 fs,平均出力 1.5 mW の光パルスです。また,SFG に使用したポンプ光は,波長 1537nm,パルス幅 380 fs,平均出力 30 μW の光パルスです。この時間分解測定の信号検出感度は 111 dB です。生体試料には図 2(a)に示す灌流固定したマウス脳を使用し,黄色の四角形の部分(5.5 mm×5.5 mm)の断層画像を取得しました。図 2(b)は By = 2.32 mm の位置で Bx方向にプローブ光をスキャンして取得した画像です。明るい横方向の層は脳梁と海馬白板で,その下の二つの白い層が海馬歯状回上刃と上丘腕です。一方,図 2(c)、(d)は脳表面からそれぞれ 1.76 mm、1.98 mm の深さで Bx - By方向にプローブ光をスキャンして取得した画像です。明るい楕円形のラインは脳梁と海馬白板です。
波長 1700 nm 帯のスーパーコンティニューム(SC)光を光源とした OCT によるマウス脳の断層撮影では,SC 光強度 10 mW に対して信号検出感度 ~ 100 dB を達成しています。本研究では,1.5 mW のプローブ光強度で 111 dB の信号検出感度を達成し,1700 nm 帯 SC 光を光源とした OCT と同等の深達度を実証しています。このように,量子計測を用いることで,微弱光照射により非接触・非侵襲で生体深部を可視化することができます。
図 2. 灌流固定したマウス脳(a)と断層画像(b, c, d)
研究の意義
医学・生物学の研究において,生体の構造や働きを可視化する技術は非常に重要です。生体の可視化には光学顕微鏡が広く使われていますが,生体はミクロなスケールでは透明であるため,生体に染色もしくは蛍光標識を施す必要があります。そのため,染色・標識が困難な生体分子からなる試料の観察は不可能です。また,染色・標識は生命活動に影響を及ぼすため,真の生命活動を観察することはできません。一方,生体に照射する光の強度も生命活動に影響を及ぼします。ある種の細胞やバクテリアは強い光照射により死滅します。また,光により活動が低下したり全く止まったりする酵素反応も存在します。本研究で開発した量子光断層撮影法は,微弱光照射により非接触・非侵襲で生体を可視化できる技術であり,真の生命活動を観察可能な新しいモダリティ(医用画像撮影装置)となることが期待できます。
今後の展開
今回の実験では,パルス幅 380 fs の光パルスをプローブ及びポンプ光パルスとして使用しましたが,100 fs 以下のパルス幅の光パルスを使用することで,数ミクロンの深さ方向分解能が得られます。また,今回構築した時間分解測定系の光損失及び単一光子検出における暗係数と雑音光子の低減,ポンプ光強度の増強による SFG 効率の改善,プローブ光強度の増強により 140 dB を超える信号検出感度が期待できます。
本技術の適用範囲は生物試料に限定されるものではありません。強散乱体の内部構造を非接触・非侵襲で可視化可能な技術であり,航空機や自動車で使用される複雑な塗装層の分析,製薬業で使われるコーティングのモニタリング,芸術作品の修復に役立つ詳細な 3D 画像の生成など,多方面への応用が可能であり新規産業の創出が期待できます。
掲載誌情報
雑誌名: Scientific Reports
論文題目:Quantum optical tomography based on time-resolved and mode-selective single-photon detection byfemtosecond up-conversion.
(フェムト秒周波数上方変換による時間分解かつモード選択可能な単一光子検出に基づく量子光断層撮影)
(フェムト秒周波数上方変換による時間分解かつモード選択可能な単一光子検出に基づく量子光断層撮影)
著者名: 行方 直人1、小林 伸彰2、野村 絢也2*、佐甲 徳栄2、高田 則雄3、井上 修一郎1
1:日本大学量子科学研究所
2:日本大学理工学部
3:慶應大学医学部先端医科学研究所
*現所属は東京都立大学大学院理学研究科
2:日本大学理工学部
3:慶應大学医学部先端医科学研究所
*現所属は東京都立大学大学院理学研究科
DOI: https://doi.org/10.1038/s41598-023-48270-7
研究支援
本研究は、JSPS 科研費 挑戦的研究(開拓)(課題番号 21K18198)の支援のもとに行われました。
本件に関する問い合わせ先
・本件の研究について
日本大学量子科学研究所
教授 井上 修一郎 (いのうえ しゅういちろう)
E-mail: inoue.shuuichirou@nihon-u.ac.jp
・本件の広報について
日本大学理工学部庶務課
TEL: 03-3259-0514 FAX: 03-464-9342
E-mail: cst.sshomu@nihon-u.ac.jp